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時を経ても、忘れられない言葉。心の奥深くに刻まれた一場面。あなたにもそんな言葉やシーンがありませんか?
僕はかつて見たテレビドラマ『天皇の料理番』の中の一場面を思い出すことがあります。このドラマは、Amazon Primeで視聴可能で、僕はそのシーンを繰り返し見て、その言葉の重みを噛みしめました。
『天皇の料理番』は、何をやってもうまくいかず、クズ扱いされてきた男が、料理との出会いを通じて「日本一のコック」を目指し、夢を追いかける物語です。彼は多くの挑戦と困難を乗り越え、最終的に天皇の料理番として夢を叶えます。しかし、それだけがこのドラマの全てではありません。主人公の成長とともに、周囲の人々、特に彼の奥さんの生き方には胸を打つものがあります。
これから、僕がこのドラマから学んだ、心に残る場面と言葉を紹介しながら、その意味を掘り下げていきたいと思います。
▼最も重要なメッセージを動画にまとめました▼
テレビドラマ『天皇の料理番』の紹介
『天皇の料理番』は、苦難と挑戦を乗り越えて夢を追い続ける一人の料理人の物語を描いています。主人公は、最初は何をやっても上手くいかず、周囲から軽んじられていました。しかし、彼の人生は料理との出会いによって一変します。彼は「日本一のコックになる」という大きな夢を抱き、困難に立ち向かいながら、その夢を実現させていきます。
舞台は大東亜戦争前の青年時代から、戦後の激動を乗り越えた昭和時代。後半には、主人公が天皇の料理番となり、国家のために戦乱の時代を生き抜く様子が描かれます。ドラマは、ただの料理人のサクセスストーリーにとどまりません。家族の絆、友情、愛情といった人間関係の濃さが、物語を深めています。
見どころのひとつは、細部にわたるリアルな料理シーンと、時代背景を反映した緻密なセット。そして、登場人物たちの人間ドラマです。人間同士が本音でぶつかり合うシーンは、何かと正直になれない現代において、生きるとは何か、ということさえ、考えさせられます。
物語に込められた「まごころ」の真意
『天皇の料理番』の中で最も印象的なのは、主人公が料理長のレシピを盗んだシーン。
料理を早く覚えて一人前になりたいのに皿洗いばかりさせられて焦る主人公が、シェフのレシピを盗むのですが、彼はそのレシピを見て、それがどんなに大事なものなのか理解します。
そしてシェフにどうやって返そうか、右往左往している中、ついに返すチャンスがきました。クビを覚悟して自白した主人公に、シェフは静かに語ります。
小さな失敗が、大きな失敗になることもある。
そういうのは真心がない。料理は「まごころ」だ。
技術は追い付かないこともある。
素材は望み通りにいかないこともある。
でも、「まごころ」はてめえ次第でいつでも最高のものを出すことが出来る。
爪を短くすること。
鍋を丁寧に洗うこと。
包丁を整えること。
そういうことは、確実にできる。それさえできないやつは、まともな料理が作れるとは俺は思わない。
教えないのは、覚えないからだ。
親切に教えてもらったものより、てめえで必死になって盗んだものの方が人は大事にする。
だから、教えない。
このシェフの言葉が、当時の僕にグッときました。
主人公は料理の技術だけでなく、それに込められたシェフの「まごころ」の重要性を理解します。「まごころ」とは何も「心からの思いやりや情熱」など型どおりのことをいっているのではありません。もっとその奥にある、地味で面白くなくても、当たり前のことを当たり前にやろうとする心構え。そのことを言ってるんだと僕は思いました。
最高のパフォーマンスを発揮する為に、準備は欠かせません。それは、様々な書物でも語られてきたことです。でも、その理由を、ここまで深く落とし込むには、時期と、相性の良い言葉が必要です。僕にとっては、このセリフがそうでした。
人は自分で努力して得た知識や技術をより大切にする
シェフが簡単に技術を教えようとしない理由は、自分で努力して得た知識や技術をより大切にするという考えを持っているからです。料理業界は「見て覚えろ」という慣習が古くは当たり前でした。今の時代は逆です。教えてあげないと人はついてきません。
もちろんドラマと今では、時代が違います。ドラマの時代は料理人の地位は低く、ろくでもない人が就く職業だと思われていました。そして、暴力など当たり前の、極めて封建的な世界です。
現代は「教えない」ことは効率が悪く、教えなければ、若い人は育たないでしょう。当時は、腕一本で食べていくために、料理人はとにかく必死だった。親切になんて、誰も教えてくれなかったようです。
ただ、考えてみると、すぐに教えてくれることに対して、現代はあまりにも「当たり前」に捉えてはいないでしょうか。それがゆえに、教えてくれたこと以上のことを多くの人は考えもしません。教えてもらえることの有難味を、深く理解できないでしょう。
ドラマのセリフにあるように、「親切に教えてもらったものより、てめえで必死になって盗んだものの方が人は大事にする」という方が真実なような気がするんです。
包丁を見ると、仕事ができるかわかる
包丁には、料理人の魂が宿るといいます。僕は、レストランで10年勤務して、水産会社に勤めました。特には数百本の魚を1日で捌いたこともあります。水産工場であれば、機械で10倍の生産性にすることもできますが、勤めていた水産会社の代表は包丁で捌くことにこだわりました。
包丁で卸す方が切り口がなめらかで、個体差のある魚の形状に応じた処理ができるし、必要以上に水を使わないので、品質が落ちないからです。そして何より、包丁を大事にすることが、人の生き方につながると考えていました。
包丁を整える。というのは、簡単です。でも、用途に応じた様々な包丁を、その目的によってどう研ぐかを考えるのは、底が見えないくらい深い。
たとえば出刃包丁は、魚の太い骨を断つために重く、厚みのある刃をもちます。切っ先と刃元ととは役割が違って、切っ先の方は魚の身をおろすためにシャープな設計になっているのです。それを理解した上で、捌く魚の種類に適した研ぎ方が求められます。
だから、水産会社の代表はいつも言っていました。
包丁を見ると、仕事ができるかわかる。
情熱とは、当たり前のことを当たり前に徹底的に準備すること
『天皇の料理版』のシェフと共通しているのは、当たり前のことをちゃんと準備することの大切さではないかと思っています。「情熱」というと、勢いだとか、やる気だとか、やや抽象的なニュアンスが強調されます。ですが料理人であれば、爪を短くすること、鍋を丁寧に洗うこと、包丁を整えること、といった、やろうと思えば誰でもできる当たり前のことを当たり前に徹底的に準備することが、情熱であり、まごころなんですよね。
マーケティングでも同じことがいえると思います。マーケティングの役割は、必要な人に、必要な価値を、適切に届けることですから、「必要としている人は誰なのか?」「必要な価値とは何なのか?」「どうやって届けることが最適と言えるのか?」徹底的に調べて分析しなくてはいけません。しかし現実は、そこまで徹底しているマーケターに、周囲ではお目にかかったことがありません。
USJをV字回復させた森岡毅氏や、SmartNewsを軌道に乗せた西口一希氏など、一流マーケターはその重要性を書籍の中で様々な角度で語っています。
料理もマーケティングも、形となって現れる華やかな成果物ではなく、もっと手前の地味な準備や、面倒な低入れ、泥臭いリサーチが支えているのでしょう。大切なものは目に見えない。それが「まごころ」というものだと感じ、僕は深く感動したのでした。
まとめ
『天皇の料理番』は、料理という枠を超えて、準備することの大切さ、当たり前のことを当たり前にやる心構え、といった、目に見えない「まごころ」にこそプロは心を砕くべきだと教えてくれました。
料理に限らず、どんな仕事をするにしても、心を込めて取り組む、という抽象的なきれいごとではなく「親切に教えてもらったものより、てめえで必死になって盗んだものの方が人は大事にする」という真実を語ってくれています。自ら苦労して、掴んだ知識や技術が、どれほど価値あるものであるかを示唆してくれています。
このメッセージは、ほとんど何でも教えてもらえる現代社会において、いっそう価値ある指摘ではないかと思います。もし気になったら、Amazon Primeで無料で見れると思いますので、是非ご覧になってみてください。自身の仕事に置き換えてみると、とても勉強になります。
ドラマとしても、最高に面白い仕上がりになっていますよ。