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『人間学×マーケティング~未来につづく会社になるための論語と算盤~』(神田昌典・池田篤史/致知出版社)を読みました。
非常に厳しい時代に入ったと感じます。神田氏は次のように断言しています。
今のうちに「論語と算盤」を兼ね備えていない会社は未来に生き残れない。
理由は、明らかです。第4次産業革命となるデジタル革命は経済や社会体制を大きく変化させる。その中で企業は、進化するか、衰退するか、いずれかである。いずれにしても未来にふさわしい新しい事業を生み出すしか、生き残る道はありません。そのために必要なのが、人間学とマーケティング。そんな結論です。
現代版「論語と算盤」
人間学とマーケティングは、いいかえれば、論語と算盤だと神田氏は言います。
どちらかに偏った会社はあまたある。たとえば、論語的な会社は、協調性、調和、倫理を重んじる。対して、算盤的な会社は、競争、効率、管理を重んじます。論語的な会社が、チームワーク重視なら、算盤的な会社は、個の生産性重視。倫理・道徳を大切する論語的会社と、資本経済・合理性を大切にする算盤的会社。
両者は光と影のように正反対。しかし、未来に生き残る会社は両者を満たした会社であると神田氏は言いたいのです。
人間学とマーケティング、双方兼ね備えた「中道」を目指すべき
仏教には、中道、という言葉があります。
お釈迦様はこう説きました。
極端にかたよらずに生きてゆく姿勢が何より大切。
人間学とマーケティング、この両者を満たすことこそ、まさに中道の精神なんですね。しかし、現実にはとても難しい。
なぜ、中道の精神が必要か?
「論語と算盤」を兼ね備えていない会社は未来に生き残れない。
それはなぜか?
完結にまとめると、論語的会社は、企業文化が強固であるために今までの組織・体制を変えるのが容易でないので新しい技術や文化、潮流を拒絶してしまう。一方、算盤的な会社は一時的に成長しても、歴史が浅いのである程度成長すると、離散する傾向がある。
企業文化がないと、組織が築けないからです。そう考えると、大企業ほど、かじ取りがむずかしくなります。意思決定のプロセスが、機能不全を起こしているのです。
企業の購買決定に要する人数は、5.4人
意思決定に関わる人数が増えると、専門分野が異なる人たちがそれぞれの見識で判断します。その結果、どうなるかというと、誰もが責任をとる必要がない安易な決定になります。
神田氏が監訳した『隠れたキーマンを探せ!』(マシュー・ディクソン他著)によれば、企業の購買決定に要する人数は、5.4人。そして購買決定に関わる人数が2人以上になると、良質な決定が出来る度合いが80%から一気に50%を切るといいます。
すなわち、「価格が安い」という、考えないでも出来るありきたりの判断になるというのです。
人間学
人間学が必要だとする根拠は、強い企業文化を作る為です。組織が存続するために人材教育が欠かせません。
そして、人材教育には人間学が欠かせない。では具体的に人間学とは何かというと、「人はどう生きるべきか」「どのように振る舞うのが人としてよいのか」といったことを追求することです。
道徳であり、仕事や人生との向き合い方、働くことに対しての考え方。これらを哲学として、きちんと持っておくことなのです。人材教育は、それなくして、なしえない。
持続する組織を作る為に
構想レストランは、100年持続するレストランが目標です。持続するには人間学が必要だと早くから、テーマとしては持っていました。そう、当社は、どちらかというと、論語的会社です。
しかし、100年持続するレストランというが、その築き方は模索しているところでした。今のやり方は単調で、ただ発信しているだけです。そこで必要になってくるのが、「算盤」。
つまり、マーケティングなのでしょう。この本を読んで、直感したのは、そこでした。
マーケティング
マーケティングの概念は広いのですが、目的をいうと、率直なところ、利益を出すための営利活動でしょう。売れる仕組みづくり。
これが、いわゆる算盤。そもそも『論語と算盤』とは、日本資本主義の父と呼ばれる渋沢栄一氏が記した著書です。渋沢氏は、現代にも残る500社の設立に関わった人です。500社ですよ。1931年に没してますが、今もなお続く会社に礎を築いた功績は非常に大きい。100年企業を志す私としては、教科書にすべき著書です。
渋沢氏は、論語と算盤について、以下のように書いています。
算盤は『論語』によって出来ている。
『論語』もまた、算盤の働きによって、本当の経済活動と結びついてくる。
だからこそ『論語』と算盤は、とてもかけ離れているように見えて、実はとても近いものでもある。
マーケティングによって、人間学は世の中の役に立つ
マーケティングは、利益を出すための営利活動ですが、短期的視点と長期的視点とで見ると、やり方は大きく変わります。
たとえば、コピーライティング。人の不安をあおり、そこに付けこむように売り込むテクニックが随分、もてはやされました。今も、多くのコピーライティングが、その手法を用いています。それにより一時的に売上をあげることは可能かもしれません。しかし、それが本質を伴わない表現であった場合、失うのは売上ではありません。
信頼です。小手先のマーケティング手法を駆使するなら、大きな副作用を覚悟しなければならないということです。ただ、人間学を持っていれば、そんなテクニックに踊らされない。むしろ、本質的な課題を伴ったコピーライティングは、顧客の信頼を増す。こうしたことからも、人間学とマーケティングは両輪であるべきだと考えられます。
『論語と算盤』原本について、少し解説
渋沢栄一氏は、江戸時代末期から大正初期にかけて活躍した人で、武士から官僚、政治家、実業家と、その役割も時代と共に変えてました。「日本資本主義の父」とも呼ばれる人です。
聞けば、渋沢氏が興した事業、関わった企業は、500社にのぼり、驚くべきは、そのうち6割もの企業が、今も存続しているのだそうです。
士魂商才
ひとことでいうと、経営に大事なのは、論語の精神に基づいた道義に則った商売をすること。経営には、武士的精神が必要であるのは無論、とある。しかし、武士的精神のみに偏って商才がなければ経済で自滅を招く。
その士魂を育てるのが、論語、というわけです。